【防空壕】太平洋戦争に実際に使われていた「旧海軍司令部壕」に行ってきた【大田司令官】

旅行

【最新機種】GoPro hero11 Black

created by Rinker
GoPro(ゴープロ)
¥54,800 (2023/10/17 22:23:09時点 Amazon調べ-詳細)

最新機種でVlogの思い出を撮影しよう!

ヘリノックス (Helinox) サンセットチェア コーヒー

created by Rinker
ヘリノックス(Helinox Home,Deco & Beach)
¥17,999 (2023/10/17 21:25:34時点 Amazon調べ-詳細)

大人気の軽量アウトドアチェア

ヘリノックス (Helinox) コンフォートチェア

携帯性抜群のソロキャン向けアウトドアチェア

ガソリン缶型ステンレス鋼アルコール燃料ボトル

ガソリン容器型のおしゃれなランタン用オイル入れです

ドラゴンクエスト メタリックモンスターズギャラリー メタルキング

created by Rinker
スクウェア・エニックス(SQUARE ENIX)
¥3,069 (2023/10/17 21:25:35時点 Amazon調べ-詳細)

みんな大好きメタルキング!解く大経験値を手元においておけば幸せになれます

太平洋戦争の砦

沖縄には、旧海軍司令部壕と呼ばれる観光名所があります。

これは、1944年(昭和19年)の太平洋戦争において、戦線が沖縄に近づいた事によって軍備強化を図るために作られた防空壕の跡地となっています。


海軍司令部壕(かいぐんしれいぶごう)は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。戦後は旧海軍司令部壕としてその一部が一般に公開され、周辺は海軍壕公園として整備されている。沖縄県豊見城市と那覇市の市境に位置する。海軍司令部壕 – Wikipedia

施設内部は当時の状態のまま残っており、内部を見る事が出来るので観光地として人気があります。

今回、筆者も実際に行ってみましたのでご紹介しようと思います。

レポート

アクセス

場所はゆいレールの小禄駅からタクシーで10分ほどの場所にあります。

施設の周囲には多くの慰霊碑があります。

資料館

まずは施設内の資料館から見ていきます。

資料館には太平洋戦争中の様子や記録が展示されています。

今の日本は戦争と程遠い状態なので現実感がわきませんが、当時の人たちの大変さや苦しみが伝わってきます。

戦艦大和の模型もありました。

防空壕内部

では、実際に防空壕の中に入ってみましょう。

まずは入り口でチケット購入です。

たくさんの千羽鶴が飾られています。
さぁ、防空壕へ降りていきましょう。

階段を下りることで到着です。
かなり深かったです!

雰囲気がすごいですね。。。!

防空壕内部には様々な部屋が作られており、それぞれ役割を持っていたようです。

こちらは大田司令官が指揮を取っていたのですが、アメリカの攻撃が激しくなり守りきる事が出来ないことを悟ると、こちらの部屋で自決をしたようです。

戦闘
1945年(昭和20年)1月20日、佐世保鎮守府から大田実海軍中将が沖縄方面根拠地隊司令官として赴任し現地の指揮を執ることになった。

アメリカ軍による本格的な攻撃は3月23日頃から始まった。3月31日午前8時には那覇市の北西沖約10キロメートルに浮かぶ神山島に上陸し、4月に入ると島に設置された砲台や海上艦船からの攻撃も始まった。5月11日、大田司令官は壕内生活で注意すべき教訓を電報にて報告している。

5月半ばになるとアメリカ軍は那覇市街地に迫り、首里付近に集結していた陸軍は5月22日に沖縄本島南端部への撤退を決め、小禄司令部壕を守っていた海軍もこれに合流するため武器の一部を廃棄して5月26日から移動を開始したが、命令の行き違いがあり5月28日に小禄司令部壕へ引き返している。6月に入ってアメリカ軍の攻撃が激しくなったため陸軍との合流は断念せざるを得なくなり、海軍は司令部壕付近に孤立する状況となった。

6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打って後事を託している。包囲が次第に狭められていく中で壕内に重火器はほとんど残っておらず、歩兵による突撃で応戦するのが精一杯の状況となった。

11日午前7時、司令部壕に集中攻撃が加えられた。同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられている。13日午前1時、大田司令官は自決を遂げ小禄地区における組織的な戦闘は終結した。海軍司令部壕 – Wikipedia

終わりに

防空壕に入れる機会は少ないので貴重な経験でした。

太平洋戦争当時の状況を知る事が出来る場所なので、興味のある方は是非足を運んでみてください。